小山地区
小山は江戸時代から高清水と同様、名入村の端村としてあった。
文化6年(1809)の『新編会津風土記』には以下の通り記されている。
端村小山 本村の西十四町五十余間にあり家数八軒東西一町南北四十間北は山により南は只見川に傍ふ
集落名の小山というのは、源平合戦で有名な高倉宮以仁王の従者小山某がこの地で亡くなったからという伝承もある。
越後街道に面して立派なお堂、十王堂がある。
近世の後半からは川魚の捕獲利用が許され、漆役と共に藩に貢献することもあった。特に川魚漁に至っては明治以降梁(やな)を設置して他集落に売り出すほどの盛況ぶりであった。
(三島町『三島町歴史文化基本構想』より)