杉峠金山
西方地区から現西会津町へ通じる野沢街道沿いにはかつて金鉱山があり、「杉峠金山」と呼ばれ国策として昭和7年頃より昭和18年まで採掘された。鉱山の坑道は西方地区にある柏木山の山すそにほど近く、鉱石の混じった土砂を掘り出していた。掘り出された鉱石は、西方街道まで土橇(どぞり)で運び出され、そこから精錬所まで馬車で運んでいたが、のちに索道で運ばれるようになった。
精錬所はヨナ沢一本松付近にあり、鉱山事務所が併設されていた。精錬所では、選別された鉱石を大きな石臼で砕き、水と一緒に水銀を塗った鉄板に流して金を付着させ、これを鹿の皮に入れて水銀を絞り出し、残りを精錬するという方法を用いたという。
作業員は全部で20~30人(最盛期は80~100人とも)ほどだったが、西方集落の者も働きに出ていた。仕事を終えて集落に帰って来る作業員の服には黄土色の泥が付いていたという。また、事務所前には野沢街道をはさんで山の神(一説には黄金神社、金山神社とも)を祀り、毎年のお祭りには花火を打ち上げていた。
<奥会津書房『三島町散歩』、西方地区地域づくりサポート事業実行委員会『西方の記憶―つなぐ』より>