伊夜彦神社


伊夜彦神社本殿

西方地区の稲荷神社は今なお地区住民の崇敬を集めている古社で、貞元2年(977年)の建立と伝えられる。伊夜彦神社、そして御祭神の天香護山命(あめのかぐやまのみこと)は現在、稲荷神社の社殿に、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、鬼渡神社の祭神だった大彦神、阿須波神、波比岐神の4柱の神とともに合祀されている。

天香護山命は中世に御坂山にあった大高寺の寺神と伝えられている。伝承によると宝徳元年(1449年)には大石田地区へ、明應5年(1496年、一説には明應2年とも)には西方邑稲荷原へ分け祭り、明治42年(1909年)に稲荷神社に合祀された。この際、西方地区の只見川の川岸近くにあった鬼渡神社の3柱の神も合わせて奉られるようになった。

伊夜彦神社の本殿自体は今もなお、稲荷神社の境内にさや堂に覆われて保存されている。こけらぶきの屋根を持つ小じんまりとした社殿だが、建築形式は「一間流れ造り」で流麗な造形美がある。内面の墨書には宝暦2年(1752年)に造立との記載があり、社殿は灰色に退色しているが、柱や梁に施された微細な彫刻が往時の華やかさを伝えている。

<奥会津書房『三島町散歩』、西方地区地域づくりサポート事業実行委員会『西方の記憶―つなぐ』より>