高清水地区
文化6年(1809)の『新編会津風土記』には名入村を本村とし、小山、そしてこの高清水は端村として位置づけられ、「小山の西八町十間余にあり家数十六件東西二町南北三十四間、北は山により南は只見川に傍ふ」との記述がある。
高清水はかつて徳一大師が大同2年(802)に建立したとされる三坂山大高寺(16世紀に滅んだとされる)の影響下にあり、三坂山の麓の飯岡平地には大高寺の僧坊があったとの伝承もある。また慧日寺の座主となった法印・雄仁の出生地でもある。かつて高清水で小正月に行われていた鳥追いでは「今日はどこの鳥追いだ、法印様の鳥追いだ」と唱えられており、雄仁を輩出したこととの関連性を見出す研究者もいる。
高清水では3月4日に無病息災を願い手作りの紙雛を川に流す「雛流し」の行事が今もつづけられており、県の無形民俗文化財にも指定されている。
<三島町『三島町歴史文化基本構想』より>