三島の民話 みそう台

みそう台

滝谷小字に自滝原ちゅう処あんだ。今、そこは水田が三町歩ばかりで廻りに畑地があって、大昔の人が住んでただべぇ。そこに、権現岩ちゅう見事な岩あって、昔から素晴らし清水が出たんだわぃ。その辺りを

「みそう台」ちゅって、そのいわれになってる昔話があんだぞ。

さて、権現岩のふもとに数軒の村があってな、熱心に味噌造りしてる爺さんと婆さんがおったそうだ。

なんでもこの自滝原は、土地が肥えてで何でも良い作になっただど。わけてもな大豆は馬鹿良いがな出来るもんだがら、村の人は大豆をいっぱいこしゃって、いろんなものと交換して豊かに暮らしてたど。

熱心な味噌作りの爺さん婆さんの味噌は、特に上等な味噌でな、清水のおかげで出来る権現岩の(のろ)を混ぜて、様々な物を味噌漬けにするもんだがら、「あそこの味噌は特別だなぁ」

「あそこの味噌は特別だなぁ」どって、近所の村がら喜ばちぇだど。

さて、そんな折り隣村の大峯に奇病が出て、どんどん流行ってこめらめも年寄りも果ては、稼ぎ盛りの男てぇも死んちまがら困ってあったど。

山伏姿の権現様が大峯さこらって、ヤレヤレ気の毒に思われただべぇ、洞窟さ籠もって一心に祈祷されたど。したれば、満願の日にお告げがあっただど。

「山をひとつ越えると、滝谷と言う村あり。そこの爺さん婆さんの造りし味噌は、格別のものなれば、それを貰い受け、笹の葉に包んで焼き、病人に食べさせよ」

大峯は、貧しかったがら塩しか食ってなかったの。権現様の言われるように大峯さ来たかったが、なにしろみんなが弱ってだべぇ、なじょしんべとなやんでだらこれまた有り難いことに、弘法大使様が通りかかってな、「そうか。どれどれ、私が行って味噌を、旨い味噌を持ってくっかんな」がおってる病人の頭をなでながら、山越えてみそう台の爺さん婆さんから、味噌さずけて貰ってったど。そして、笹の葉に包んで焼いて貰って、大峯の人はたちまち治っちまっただど。大峯の人は、滝谷の人だれも弘法大師さまも、そしてあの権現様も有り難くてなぁ、いついつまでも語りぐさにしたじゅうわ。

権現様が、大峯と滝谷を何回も登ったり下ったりしゃったべぇ、その時から、あそこの岩を権現様って言うようになったど。そして、そこら一帯を「みそう台」と俗字名になってんのな。

みそう台さ行ぐど、味噌こしゃってだ、爺さん婆さんの事や、大峯の人だれの事浮かんでくんぞ。やさしい弘法大師様や権現様のお婆もなぁ。

滝谷のみそう台の話 おしまい

元話 若林茂さん(滝谷)

再話 五十嵐七重さん(西方)