墓地の手前右側にある。木造。明治26年の大火で焼失した後、新しく建立された。 <奥会津書房『三島町散歩』よ …
観音堂の隣、少し奥まった場所に石像が座している。右手を顔の脇に寄せ、少し首をかしげたような姿(半跏思惟)である。頭部が …
ニンギョウタテバ かつて高清水には魔除け・厄除けの人形を集落の外れに立てる行事があった。その人形を立てる場所であったこ …
高清水地区では無病息災を願い手作りの紙雛を川に流す「雛流し」が行われており、県の無形民俗文化財にも指定されている。高清 …
高清水の発展に寄与した小柴倉次翁の顕彰碑。古峯神社につづく階段の途中、昭和15年に台北陸軍病院にて没した陸軍歩兵上等兵 …
十王堂の脇にある。銘文をみると、享保年間(1716~1735)の9月23日に建立されている。このことから三島町でも3基 …
小山は江戸時代から高清水と同様、名入村の端村としてあった。 文化6年(1809)の『新編会津風土記』には以下の通り記 …
この行事をデンバラ虫などとも呼んだ。かつてはサナブリの土用次郎に行ったが、近年は7月の第2土曜日に実施する。小中学生の …
サナブリに行うことが多い。日取りは子どもたちが決めていた時代もあったが、近年は6月の第2土、日曜日のいずれかが多い、養 …
曹洞宗の寺院。『新編会津風土記』には「何頃ノ開基ニカ詳ナラス、慶長二年仁昌ト云僧住ス、正保四年天寧寺十三世八高ヲ請テ開 …